東京高等裁判所 昭和27年(行ナ)19号 判決
当事者間に争のない事実並びに各その成立に争のない甲第一号証の一、二(原告の本件特許願、明細書)及び甲第二号証(昭和二十五年八月二十四日付訂正明細書及び図面)を総合すれば、原告が特許を出願した本件発明の要旨は、「重曹と塩安とを交互に沈澱せしめるアムモニアソーダ法において、沈澱重曹を濾別した濾液に、アムモニア及び炭酸ガス又はアムモニア単独又は前記両者の均等物質を加え、液中の重炭酸塩を正炭酸塩の組成に変ずるのみならず、該液中の水一〇〇〇瓦に対して過剰アムモニア〇・二モル以上が存在するように調整し、これに固体食塩を添加して塩安を沈澱せしめ、その濾液を再び重曹製造に充当不覆することを特徴とする塩安及び重曹製造法」であることを認定することができる。
もつとも右甲第二号証の訂正明細書によれば、「特許請求の範囲」の項に、濾液中の過剰アムモニアの量を「或は正炭酸アムモニア六モルに対し過剰アムモニア一―三モルが存するように調整」する旨の記載があるが、右の条件は、明細書中にこれに関する明確な説明を欠き、実施例とも合致しないばかりでなく、他の条件である「水一〇〇〇瓦に対し過剰アムモニア〇・二モル以上」と一致しないものであるから、これを本件発明の要旨には包含されないものと解する。
原告代理人は、本件明細書中の「B―E線、E―F線で表わされる組成或は温度、カルバミン酸の変化した場合のこれに相当する組成、更に最も能率の高いE点或はE点に相当するような組成に母液の組成を調整して操作しようとするのが本発明方法の基礎である。」との記載、その他明細書及び図面の全体からすれば、本件発明は、右B―E線を目標とする点を主要旨となすべきであつて、前述のような要旨の認定は徒らに「特許請求の範囲」の記載に拘泥したものであると主張する。しかしながら特許法施行規則第三十八条によれば、出願人は特許出願にあたり発明の構成に欠くことのできない事項を明細書中「特許請求の範囲」の項に記載しなければならないことを要求されているばかりでなく、原告の発明の基礎が右に原告の主張するとおりであり、これが本件発明者等の始めて闡明した相律的研究の結果の得られたものであることは、前記明細書、訂正明細書及び図面の記載に徴し明白であるが、これを実際上の問題として工業上有利な、原告のいわゆる絶大な効果を奏する過剰アムモニアの範囲は、果して如何なる程度のものであるかについては、右相律的研究との関連において明確にこれを規定した説明はない。強いてこれを求めれば、前記引用の説明につゞく「然れども工業的操作においては他の条件も関連して来るので、単に溶解量の利益のみを以て条件を定むる事は時に却つて不利となる事もあり、又厳密に母液の組成を調節する事も工業的には事実上困難であり、操作の安定を期するために少々の母液量の増加は犠牲として、適当なる範囲内に母液組成を調節する事となるものである。」との説明であつて、これはB―E線からある程度離れたものも、本発明の範囲内に含まれることを記述したものであり、その離れる程度がどの位であるかについては実施例によりこれを判断するの外はない。然るに三つの実施例は、「特許請求の範囲」に併記された条件のうち前段の「過剰アムモニア〇・二モル以上」には含まれるけれども、先にも認定したように、後段の「正炭酸アムモン六モルに対し過剰アムモニア一―三モル」には一つも含まれない。
原告は訴外平良保典外二名から特許異議の申立があるや、昭和二十六年六月六日差出の補充答弁書において、過剰アムモニアの量を「液中の正炭酸アムモン二モルに対し過剰アムモニア一モル以上が存在する如く調整し」云々と訂正の用意のあることを述べ、今また本訴において、これを「液中に正炭酸アムモン二モルに対し過剰アムモニア一ないし二モルが存在する如く調整し」云々と訂正の用意のあることを述べ、右は単なる表現の相違に過ぎず、いずれも明細書及び図面から判断して当然に帰納し得る本件発明の要旨であると主張するが、このように限定した場合でも、明細書に記載された実施例(一)(二)は含まれるが、同(三)は含まれず、実施例(三)が錯誤により明細書中に記載されたと解する何等の根拠もなく、却つて本件発明者が当初完成した発明はこのような実施の態様をも包含するものであつたと解するの外はない。原告は右実施例(三)を削除し、特許請求の範囲を右のように限定訂正すれば、引用例とは別異の発明となり、発明の要旨は、ここに原告が主張するようなものとなると主張するが、その訂正を意義ずける何等の説明もない以上、右の明細書から、要旨を右訂正案のように判断しなければならないものではない。しかのみならず本件出願の要旨をなす特許請求の範囲の数量的限定の表現が審査以来数回に亘り変つていることからも判断されるように、原告においてさえ適確に表現、確定することの困難な数量的限定を、右明細書の記載から、当然に原告の希望する訂正案のように認定せしめることは、至難のことを強いるものといわなければならない。
しかのみならず仮りに過剰アムモニアの量を右原告主張のように訂正したとしても、右限定の範囲内では所期の目的、効果を達成することができるが、その範囲外では達成することができないという説明、すなわちこの限度が発明的の意義を持つ、いわゆる臨界的限度であることについては、明細書中に何等明確にされていないから、明細書及び図面の記載からして、かゝる限定の存するものが、本件発明の要旨であるとは到底解することができないばかりでなく、審査官が原告の前記補充訂正書に対し特許法第七十五条第五項の訂正命令を発しなかつたとしても、これをもつて不当ということはできない。(本訴は特許庁における審決の当否を、審決当時の事実を基準として判断するものであるから、原告のいわゆる「特許請求の範囲」の訂正の用意なるものも、審査官、審判官に対してなすものと異なり、発明の要旨をかく解釈すべしとの趣旨において主張せられたものと解さなければならない。)
一方その成立に争のない乙第一ないし第四号証によれば、審決が拒絶の理由として引用したケミカルアブストラクト、第四十一巻、千九百四十七年第五二六七頁(昭和二十四年七月二十七日東京工業試験所受入)及び同誌第四十三巻、千九百四十九年第二、三八一頁(昭和二十四年十月十四日同試験所受入)には、「食塩、アムモニア及び炭酸ガスから重曹と塩安とを二工程で製造する場合に、第一工程で重曹を沈澱濾別し、第二工程で液を冷却して、これに食塩及び液中の重炭酸塩を中和するに要するよりも過剰のアムモニアを加えて塩安を沈澱せしめ、液はこれを第一工程に循環せしめる方法」が記載されていることを認めることができる。
よつて先に認定にかゝる本件発明の要旨と右引用例に記載されたところのものを比較するに、両者は重曹と塩安とを交互に沈澱せしめるアムモニアソーダ法において、沈澱重曹を濾別した濾液に、該液中の重炭酸塩を正炭酸塩に変ずるに要するよりも過剰のアムモニアを加え、これに食塩を添加して塩安を沈澱せしめ、その濾液を再び重曹製造に循環反覆するものである点において共通している。たゞこの過剰アムモニアの量を本件出願のものでは水一〇〇〇瓦に対し〇・二モル以上と規定しているのに対し、引用例のものにおいては、このような規定がなく、単に過剰のアムモニアと記載している点において相違する。しかしながら本件発明に規定された過剰アムモニアの量〇・二モルなる点が、発明的の意義を有するいわゆる臨界的限度をなすものと認め難いことは、三において認定したところであり、しかも引用例において過剰のアムモニアを存在せしめる目的が、シユライブ法の欠点である重曹の随伴を防止し、純度の高い純粋な塩安を収率よく得るにあることは明白であるから、本件方法において過剰アムモニアの量を「〇・二モル以上」と限定したからといつて、これと引用例とが実質上別異な発明を構成するものとは解されない。
してみれば原告の出願にかゝる本件発明は、出願前国内に頒布された刊行物に容易に実施できる程度に記載されたものと認めるを相当とし、特許法第四条第二号に該当し、同法第一条の特許要件を具備しないものといわなければならない。
原告は以上説示の論点の外に、原告の本件出願にかゝる発明が引用例に記載されたものと相違する所以を詳細に論じているが、所論はいずれも本件発明の要旨の認定を、先に認定したところと別異のものとなすことを前提としており、しかもその前提の採るに由ないことは、前記三において詳細に説示したところであるから右主張は理由がない。
更に原告は昭和二十五年特許願第二、二六四号「塩化アムモン析出に際してアルカリ性ナトリウム塩の共沈を防止する方法」が、本件における引用刊行物記載の方法と全然その軌を一にするにかゝわらず、これとは別異に新規の発明を構成するものとして特許された事例を引いて、本件出願の発明も右引用刊行物の存在にかゝわらず特許せられるべきものと主張するが、右の判断の当否を別としても、該判断が事案を異にする本件について当然妥当するものとは解されないから右の主張もまたこれを採用しない。